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What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
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学問と私

学問と私_f0199940_1830750.jpg


夫と私には、ずっと住んでみたい場所がありました。
結婚前から新居の候補として話が出たことがあったのだけれど、
都心から離れているイメージがあったのと、東京育ちの私たちには
土地勘等も全くなかった場所だったので、やはり踏み出すことはできませんでした。

三年後の引越しを射程に入れたときに、
やはりその町に住みたい、ということで夫と私はすんなり合意に至りました。

私は母に支配され続け、
自分でモノを決定するのはおろか、考えることすらも恐怖を覚え続けてきましたが
唯一、母から自由な思考でやれたという意味で、
社会学という学問を七年間続けられたこと、本当に幸せでした。

そもそも私が大学院を受験したのは、「学問がやりたい」なんていう
殊勝な動機からではありませんでした。

就職活動を目の前にした大学三年生の後期、
私は母親から「マスコミに就職しろ」と執拗に言われていました。
「あなたはモノを書く力があるから、ロイターか朝日新聞か共同通信か…」と
毎日毎日たたみかけるように言われ、私は頭がおかしくなりそうでした。

私、何でもかんでも「マスコミ就職マンセー」いうてる同級生を見ると
当時から反吐が出そうだったんですよ(笑
少しはモノ考えて生きてるんかな?とか思っちゃって。

で、出身大学のK大学の大学院入試がたまたま1週間後に迫っていたと。
母親のマスコミ就職に反発して、ヤケッパチで受験したら合格しちゃったと。

そういうすっげー動機だったわけ。動機って言わないね、これは。(苦笑

まあそれでK大学大学院にいったん入学したはいいんだけど、
母親の怒りはそれはそれはすごかったです。
そして、「国立大学に行くなら許してやる」「お兄ちゃんの卒業したH橋ならいい」
「兄妹でH橋に行かせていたら自慢になる」と言われ、
そこまで言うならやってやろうじゃねえかと思い、一年遅れてH橋の大学院に入学。
あれだけ怒っていた母親はそれはそれは喜んで、大学院の入学式にまでついてきて(笑

でもこれは自分の人生にとってかなりプラスとなりました。
著名な社会学者が揃うH橋での七年間は今思っても素晴らしい学びの場であったし
何よりも、自分でまかなえる程度の国立大学の授業料は、経済的に親の世話に
ならなくて良かったため、何をやっても自由な気持ちで出来ました。

いや、そんなことよりも何よりも、
社会学という学問は、母親とは違うモノの見方を私に教えてくれ
母親に支配されてきた私の鬱憤を、言葉にすることを教えてくれました。

誰に強制されるわけでもなく、
私が選び、私が続けたこと、それが学問でした。

こうして母との関係と辟易としたとき初めて、
学問のなかに見出した「自由」を思い出して、幸せになることがあります。

私と夫が将来の居住先として選んだのは、
「学問の町」でした。

私はやはり、母の呪縛から自分を解き放ってくれた学問を
捨てることはできません。

そして今度は子供たちの教育環境も考えていかなければならないのですが
私は母からの呪縛、夫は義父からの呪縛によって
近頃完全に子供に対する期待のかけ方がおかしな方向にいっていました。
「学問の町」に引っ越そうと決めたのは、そういう自分たちの捻じ曲がりに
自覚的になったからです。

その話はまた次回。
by la-paz-paz-paz | 2010-06-09 18:49 | 日々の糧