What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
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富める人々

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買ってしまった。夏用サンダル。

先日(誕生日の日)、珍しく職場から電車で帰った。普段はバス通勤なのだが、誕生日ぐらい会社帰りにショッピングしたくて、溝の口で途中下車。そのときに見かけたこのキラキラしたサンダルが、10日間経過しても忘れられなかった。これは本当に欲しいということだと気づき(笑、後悔したくないので今日行って購入。なんと20%引きになっていて、3000円で買えた。母からはエライこと不評。「コンサートでも出るのか」「パーティ用?」とさんざコケにされたが、無視。これで今年の夏はお出かけが楽しくなりそう。

今年になって引っ越す方面にネット上のお友達が増えてきた。皆さんとても親切な方が多く、遠方にいる私の代わりに幼稚園の見学に行ってくださり、次から次にレポートを送ってくださる。やはり、ネット上で調べる評判と、実際に見学しての感想は随分異なっていて、現地できちんと見てくださる方々が印象を聞かせてくださるというのは本当にありがたい話。おかげさまで、大方道筋が決まってきたと思う。

いろいろな方とネットでやり取りさせて頂いたが、こちらの生活からは信じられないほど質素な生活をしていらっしゃる方が多い。そもそも地方都市というのもあるだろうし、研究員とか大学の先生とか、割と裕福であることよりも大事なことがある人たちが多いせいだろうか。

正直、周囲がみんな富裕層であるというこの土地で、私はどうしてもこのまま娘を育てたくないという思いがある。

私自身も富裕層と言われる側の生まれであるし、中学校からは私立のお嬢様学校に行ってしまったし、大学はさらに金持ちの巣窟みたいなところに行った。いつもいつも感じるとてつもない違和感にやきもきしながらも、「自分はお嬢様なんだから」と自分に言い聞かせて、それなりにそのなかでやってきたように思う。

大学生のときにアメリカに行った。世界中から来た人たちと友達になった。私はとてもsociableな人間だといわれ、割とみんなに愛された。熱狂的なキリスト教信者の人たちに困らされた(笑。いわゆるWASPっていう人たちの傲慢さを身近で感じた。言葉が不自由なのを言いことに、無理やりキリスト教の洗礼を受けさせられ(私は英語が分からず、何をされているのか全く分からなかった)"Racismだ!!"と叫んで、悔しくて泣いた。

私がいたのはオハイオ州クリーブランド郊外の裕福な街だった。大学の学生は白人がほとんどで、アジア人である私が歩いていると、通り過ぎる車の中から子供たちが指をさして笑っていた。珍しかったのだろう。そして私にとって何よりも驚いたのは、クリーブランドのダウンタウン全体に巣食う、異常な雰囲気だった。

あれが、初めて見る「貧困」だった。

そしてアメリカでは貧富の差が人種ともろに連動しており、ダウンタウンは黒人ばかりだった。20歳になったばかりの私にとって、その光景が人生を変えるぐらい衝撃的だった。

衝撃のまま突っ走り、私はアメリカ中を駆け回った。帰国後は、スペイン語を勉強しに単身でメキシコに留学した。(いまだに私のスペイン語は「メキシコ訛りがひどい。メキシコで覚えてきただろう。」と言われる)メキシコの貧困は、アメリカのそれよりレベルがまた一段違った。滞在先のホストファミリーの女の子は、11歳で子供がいた。街を歩けば、物乞いをするインディオの親子が裾にすがりついてきた。

私はどうしても、その光景を思い出として葬ってしまいたくなかった。そして、大学院に進学した。母に見せられてきた「富の汚さ」を、私は研究で暴露してやりたかった。今思うと、貧困層の人々に何の抵抗もなく受け入れられ、愛され、研究に協力してもらえたのは、「富める人々」に対する憎悪を共有していたからかもしれない。私にとって「富める人々」とは、イコール母のことであった。

今となっては母のこともどうでも良いが、でもやはり私は「富める人々」に無条件に溶け込むことがどうしてもできずにいる。

娘は、「富める人々」の生活体系を、「当たり前」と考えている。むしろ、それ以外を選択肢からはずそうとする。つくばに行ってからどんな家に住もうか、と話していても、彼女の頭には「コンシェルジェのいるマンション」しか浮かばない。試しに二階建てのアパートの写真を見せてみたが(…アパート住まいの可能性が高いため)、「何これ、絶対イヤ。みんなが住んでいるようなマンションがいい」と言って聞かない。

「習い事2つしかしていない」も娘の常套句である。そりゃ周りが4個~10個している世界だから、2個であることに文句を言いたいのは分かるが、娘はどちらが特別でどちらが普通なのか、その感覚さえ完全に麻痺しているように思う。

世界には沢山の人がいて、富める人も貧しい人もいて、どの階層にインボルブするかはまずは横に置いておいて、自分の頭で精一杯その社会的な現象について考えること…それが社会と対峙するということじゃないだろうか。富める人たちのなかで、「みんながやるから私もやる」で人生を渡っていって欲しくないのだ。

娘にも息子にも、いずれはもっと広い世界で衝撃を受けて欲しいと思う。それが、学問への入り口だと思うから。
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by la-paz-paz-paz | 2012-06-15 21:28 | 子育ち