What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
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ブログ、放置気味です。(もう一個のほうのブログも手をつけられてない)

ツイッターで呟くと予想外に反応があったりして、その返信に会社の昼休み全部使ったりしてる毎日でw。モノ書くのは好きなんですが、そこまであれもこれも書いてられないんですな。でもこちらのブログでしか書けないこともあるので、ちょぼちょぼ続けていくつもりです。

この数年で、私は以前に比べて随分生き易くなりました。

その理由の一つとして、「物事の決断を親には相談しない。自分で決めて、決めたことについては事後報告する」ということができるようになったからだと思います。かつての私は「母にゴーサインを出してもらえなければ物事はうまく進まない」「母の反対することは必ず失敗する」という強迫的な思い込みがあり、自分が何か(それこそ着る服から娘の進路まで)を決断するときは、どんなに気が進まなくとも母に相談をするようにしていました。だから常に、「母がOKと言いそうなことを」選択するように、そして反対されて嫌な思いをしないように、ということばかりが物事の選択の基準になっていました。この家で同居する前まで、ずっとそうでした。

私が夫と最初に住んだ家は、1300万円の公団住宅でした。夫の年収は一般的なサラリーマン(決して低いほうではないが、取り立てて高いほうでもない)で、あとになって夫と同じぐらいの年収の人たちが新築高級マンションをどんどん買っている事実を知りました。私は夫の年収を軽く見ていたわけではなく、住宅ローンに35年間縛り付けられて生きていくのは絶対嫌だったのです。

この1300万の公団を買うとき、私は初めて母に「事後報告」しました。

そのときの母の怒りは半端なく、「もう1000万貸してやるからY市のマンションに買い換えろ」と執拗に言われました。(母は公団があったK市を軽蔑していました)

私たち夫婦がうつ病になったとき、これが私たちが親の言うことを聞かずに勝手に家を決めてきたからだ、と母が結論づけました。「お母さんの言うことを聞かなかったからだ」「お母さんの言うことを聞かなければ、こういうことになるんだ」「この家は方角が悪いと思っていた」

母の責め立てる言葉に、私はますます自信を失いました。

自分の人生を生きるってなんなのか、もうその感覚が失われていました。

結果的に同居して、、、

母は先見の明があるわけでもない、予知能力があるわけでもない、ただのオバサンだいうことにやっと気づきました。母に報告しなくとも、人生は失敗するときは失敗するし、成功するときは成功する。問題は、「母の了解を得ないと失敗する」と思い込んでいる自分が、物事をわざと失敗に追い込んでいることでした。わざと失敗するように知らず知らずのうちに仕向けて、「ああやっぱり、お母さんに了解を得なかったからだ」と毎回自分を納得させていたことでした。

母が気に入る選択肢を意識的に選び、嫌な思いをしないようにする…
それが一番辛かったのは、娘の出産・育児が始まってからでした。

ここで初めてカミングアウトさせてもらいますが、、

娘の名前は、母が私が小さい頃から「あなたにつけたかった」と言っていた名前でした。

私は娘の名前を決めるとき、母に反対されない名前を無意識的に選択しようとしていました。そうでないと、娘も私も不幸になるんじゃないかと思えたんです。娘の名前は娘がお腹にいるときから決めていましたが、私はどうしても愛着が湧きませんでした。娘には申し訳ないけれど、お腹の中にいるときに、娘の名前を呼んであげたことはありませんでした。ピンとこなかった。いや、もっとひどい言い方をしてしまえば、嫌悪感さえ感じました。

娘に小学校受験をさせようと言っていたのも、母が気に入る選択肢であることが分かっていたからです。そのときいろいろ言っていたおべんちゃらは、こじつけです。

賢い人(あるいは運の良い人)は、「こんな親に進路なんて相談したって無駄だ。事後報告でええわ。」と人生の早い段階で気づくんだと思います。淡々と自分で手続きをして、後で「やることにしたから」。これでいいんだと思います。

ところが私は、「お母さんはあなたたちを素晴らしい方向に導く力がある」「お母さんの許可なくやったことは絶対に失敗する」という恐怖を、ずーっと押し付けられて続けて、それが出産・育児の後も続いたのでした。

今の私は、恐ろしいほど母と会話がありません。自分の話を一切するのをやめました。私が何を好きで、何がしたいと思っていて、今何をしているのか。一切話をしません。仕事の話も、転職の話も、したことがありません。

もっと早くに「事後報告」の姿勢で臨むことができていれば、私はこんなに長いこと苦しい思いをしなくて済んだと思います。(まず、大学はなんとしても地方にいっただろうねw)

本当に、子供たちは逞しく、こすく、嫌な人間にアンテナの高い人間になってほしい。

私はずっと「純粋」「いい子」と言われ続けてきました。
その純粋さこそ、私にとって、母の毒を吸収する素地となっていたような気がします。逞しさが足りなかった。

つくば転居、
すべて事後報告の予定で、一つ一つの事務作業をこなしています。

2月になったら、「家決めました。明日引っ越し屋がきますので」と言って、出ていきます。

たぶん、それが一番良いと思います。

そうは決めていても、長い母のコントロール下から抜け出す前夜の緊張と、わずかな罪悪感で、最近不眠傾向にあります。心にものすごいストレスがかかっています。

しばらく、ピーンと張りつめた精神状態が続きそうです。
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# by la-paz-paz-paz | 2012-09-16 23:24 | 子育ち

お盆休み終盤

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11連休終盤に差し掛かっています。もう、この11連休を目指して頑張ってきたようなところがあったので、これが終わったら今度は会社辞める日まで馬車馬のように働かなきゃいかーん(涙。けれどもここ一ヶ月ぐらい、自分の仕事について大きな割り切りというか、発見のようなものがあって、少しずつ外に評価を求めるような形で自分の翻訳を出し始めています。今仕事を頼まれても、とてもできる自信がないんですが(笑、とにかくこの四年間、社内の技術者に分かる翻訳であればそれで良い、、という割と甘えた評価のなかで翻訳を続けてきてしまったので、ここらできちんと外部の翻訳会社に「カツ」を入れてもらうのもありかなと。評価を外部に求めるのは精神的にとても磨り減るのですが、そのぶん調べ物をしたり、勉強をしたりということを久しぶりにちゃんとやる活力になったりして。

そういえば「おおかみこどもの雨と雪」を見てきました。主人公の花ちゃんが一橋大学社会学部の学生だったという設定は、前日まで知らなかったんですが(笑、友達ともつるまず、部屋で黙々と難しそうな本読んでる姿が一橋の女子学生っぽくて良かったです。一橋にはそういう学生さん、多かったです。学食から図書館の中まで、全部一橋大学です。国立(くにたち)の風景がとてもリアルに描かれています。それだけで、懐かしくて泣けてきました。この映画は実に賛否両論で、特にフェミニズム系の人たちからは「母性礼賛」「あんな強い母親像を女に求めるな」「自然育児礼賛」等々の怒りに満ちた感想が沢山寄せられていました。でも実際に観てみて思ったんですが、あまり上記のような批判については気にならないです。この物語は、「どちらかの世界で生きていくことを選択せざるを得ない人々」の苦しみと、受け入れと、そしてそれを支える周りの人々の話だと思いました。マイノリティとしてこの社会で生きるということはどういうことか、それを受け入れていくということはどういうことか、そういう話なのです。だからこそ、子供たちが最後、マイノリティなりに自分の運命を受け入れる覚悟をしたとき、それを送り出す花の姿にはこみあげるものがありました。

ただ、「どちらかで生きることを選択する」ことを前提とした社会ではなく、「どちらも」キープした状態で生きていくを許容する社会を作っていくことが大切なのだと私は思っています。それは理想論でしかないのかもしれないけれど、それでも理想を言い続けていかなければいけない部分だと思います。

さて、明日と明後日が終わったら、会社です。頑張ろう。
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# by la-paz-paz-paz | 2012-08-17 09:02 | 日々の糧

一年の半分が始まる

7月1日、一年の後半戦が始まりました。前半戦は本当にあれよあれよという間に終わりましたが、後半戦はますますな忙しさのなかで過ぎていく予感。我が家は、前半戦の最後を締めくくるのが息子の誕生日、後半戦の最後を締めくくるのが娘の誕生日。どちらもボーナス支給月に産まれてくれたおかげで、出産費用が何とか捻出できたという親孝行な子供たちです(狙ってその月にしたわけではない。断じて。)

7月は昔の友人たちとの集まりや、自分の趣味の集まり、ブログ友達との集まり等、猛烈な忙しさになるに加えて、娘の短期集中の習い事、サマーキャンプ、幼稚園の個人面談や夏祭り…、早くも8月のお盆が待ち遠しくなるこのスケジューリング。嗚呼…。

そんななか、「一年の半分が終了したどー」とのごとく、息子の二歳の誕生日はやってきました。

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Yes!今年も号泣!!

ろうそくの炎が怖いのですwwwww

昨年も号泣してガッカリしたため、今年も家族一同、最初から誰も盛り上がっていませんでした。私と娘なんぞ、16時までワークショップ出席したりして、家あけてたしwww 当然、ろうそくを吹き消すなんて出来ませんから、私と娘で消しましたよ。煙が吹き上がるのを見て、また号泣。もういや。

プレゼントには、超リアルな乗用バイクを買ってやりましたが、これまた「音が怖くて号泣」ですよ。まだ一度も乗ってません。専ら娘の遊び道具になっていて、一日じゅう娘が乗り回しています。息子は遠めにおっかなびっくり眺めるだけ。誰に買ってやったんだか分かりゃしない(笑

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ろうそくが取り去られて、食べてみたら、ケロっ。にっこり笑って、「オイシイネ」だって。ワロタ。

さて、ここんとこ、断捨離が進んでおりやせん。半日程度で終わる部分は終了し、あとは「鬼のように大変そうな部分」だけが残されているため、手がつけられません。これは、引越しのときにまとめてやろうかな…とついつい甘い言葉が頭のなかで響きます。このまま引越しに突入したら、鬼のように大変でしょうが…。

横浜のほうに居るのも今年で最後なので、センター南までバーゲンに行って参りました。つくばのほうは、横浜にあるお店はショッピングモールなどの一通り入っているみたいですが、周辺道路も大渋滞するし、なんとなくショッピングすることの精神的障壁が高くなりそうな予感。こちらは電車でいろんなショッピングモールに行けるので、ショッピング好きの私にはたまらん環境でした。たまプラーザ、にこたま、渋谷、センター北・南、横浜、南町田、新百合ヶ丘…、順ぐりに行っていた過去が懐かしい(笑。ショッピング環境だけは、ちょっと不満なんだよなあ、つくば…。特にセンター南・北的な場所がなくなってしまうのは寂しいような。

ま、しばらくはネットショッピングで対応ですな。

今日は渋谷109系の服を二枚、そして、珍しくエスニック系の服を二枚購入。大満足。

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これね、インド綿専門店で買いました。アシンメントリーな形がとても素敵。インド綿の生地があんなに涼やかで華やかとは思わず、二枚3000円というので、横浜にいるうちに買いだめしておこうと決意。

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本日、ほれ込んだのはこちらのスカート。これ、中の紐をほどくと、ロングスカートにもなる。なんて美しい発色!!最近、自分が赤い色をすごく欲しているのを感じるので、夏はこちらをきてアゲアゲになりませう。

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こちらのインド綿専門店さんでは、紙袋ではなく、こんな素敵な袋に商品を入れてくださいます。おお、ヘビーユーザーになろう。(ただしインド綿は洗濯が面倒くさいので注意デス)

明日からまた頑張ろう。
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# by la-paz-paz-paz | 2012-07-01 13:47 | 日々の糧

息子、もうすぐ二歳

昨日、今日と晴れ。キッチンで料理を作りながら、窓の外の夕焼けが美しかった。久しぶりに見る夕焼け、感慨もひとしお。夏といえば、入道雲と、梅雨の合間の晴れ間が大好き。

(そんな美しい情景描写をした後に失礼します)壮絶な断捨離バトル、続きます。

【※ 閲覧注意】 我が家のキッチンの戸棚のなか。

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もはや何があるのか分からんが、とりあえず何か使おうとしても壮絶な雪崩に困らされて早3年。とにかく捨てまくり。賞味期限が数年前の粉とか、パン粉とか沢山出てきて、思ったより衝撃でかかった。さらに、「これは虫サマの溜まり場でつか」というようなプレイスまで発見し、もう背筋ゾワゾワ吐き気まで。なんで水筒だけで5本もあんだ?とか、メラミンスポンジが6つもあったりとか、いろいろ自分の至らなさを思い知らされた断捨離。

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断捨離後。

どれだけ要らないもん溜め込んでたんだよwww

棚が一つあいちゃってるじゃないか。

お口直しにもうすぐ二歳になる息子の画像でも久しぶりにあげることとします。

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ラーメン食べてる。彼はカレーとラーメンがあれば生きていける男。彼をレストランに連れていくうえで一番イヤなのは、がっつき過ぎて喉に詰まらせ、豪快にゲロ吐くときがあること。家でやられるならいいんだけどさ…、レストランでやられるのはやっぱ周囲に気を遣うよね。豪快にゲロ吐くと、「あースッキリしたわ」という顔して、ゲロまみれで倍速で食べ始める。最低。娘のときはそういうことは本当になかった気がする。彼は豪快だわ。

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群がる鳩を容赦なく追い掛け回す。この辺りも彼には恐れも優しさもない。動体視力の赴くままに。娘が小さい頃は、「鳩こわーい」と言って、私のほうに泣きながら逃げてきたものだが。鳩が観念するまでどこまででも追い回す。これは動物の本能に近い感じ。

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それでもこんなに可愛いの。見た目は(笑

しかし、彼の頭突きと突進で、私は何度となく怪我をさせられている。

そんな彼ももう二歳。

体も90センチ、14キロまで成長した。
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# by la-paz-paz-paz | 2012-06-18 12:56 | 日々の糧

富める人々

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買ってしまった。夏用サンダル。

先日(誕生日の日)、珍しく職場から電車で帰った。普段はバス通勤なのだが、誕生日ぐらい会社帰りにショッピングしたくて、溝の口で途中下車。そのときに見かけたこのキラキラしたサンダルが、10日間経過しても忘れられなかった。これは本当に欲しいということだと気づき(笑、後悔したくないので今日行って購入。なんと20%引きになっていて、3000円で買えた。母からはエライこと不評。「コンサートでも出るのか」「パーティ用?」とさんざコケにされたが、無視。これで今年の夏はお出かけが楽しくなりそう。

今年になって引っ越す方面にネット上のお友達が増えてきた。皆さんとても親切な方が多く、遠方にいる私の代わりに幼稚園の見学に行ってくださり、次から次にレポートを送ってくださる。やはり、ネット上で調べる評判と、実際に見学しての感想は随分異なっていて、現地できちんと見てくださる方々が印象を聞かせてくださるというのは本当にありがたい話。おかげさまで、大方道筋が決まってきたと思う。

いろいろな方とネットでやり取りさせて頂いたが、こちらの生活からは信じられないほど質素な生活をしていらっしゃる方が多い。そもそも地方都市というのもあるだろうし、研究員とか大学の先生とか、割と裕福であることよりも大事なことがある人たちが多いせいだろうか。

正直、周囲がみんな富裕層であるというこの土地で、私はどうしてもこのまま娘を育てたくないという思いがある。

私自身も富裕層と言われる側の生まれであるし、中学校からは私立のお嬢様学校に行ってしまったし、大学はさらに金持ちの巣窟みたいなところに行った。いつもいつも感じるとてつもない違和感にやきもきしながらも、「自分はお嬢様なんだから」と自分に言い聞かせて、それなりにそのなかでやってきたように思う。

大学生のときにアメリカに行った。世界中から来た人たちと友達になった。私はとてもsociableな人間だといわれ、割とみんなに愛された。熱狂的なキリスト教信者の人たちに困らされた(笑。いわゆるWASPっていう人たちの傲慢さを身近で感じた。言葉が不自由なのを言いことに、無理やりキリスト教の洗礼を受けさせられ(私は英語が分からず、何をされているのか全く分からなかった)"Racismだ!!"と叫んで、悔しくて泣いた。

私がいたのはオハイオ州クリーブランド郊外の裕福な街だった。大学の学生は白人がほとんどで、アジア人である私が歩いていると、通り過ぎる車の中から子供たちが指をさして笑っていた。珍しかったのだろう。そして私にとって何よりも驚いたのは、クリーブランドのダウンタウン全体に巣食う、異常な雰囲気だった。

あれが、初めて見る「貧困」だった。

そしてアメリカでは貧富の差が人種ともろに連動しており、ダウンタウンは黒人ばかりだった。20歳になったばかりの私にとって、その光景が人生を変えるぐらい衝撃的だった。

衝撃のまま突っ走り、私はアメリカ中を駆け回った。帰国後は、スペイン語を勉強しに単身でメキシコに留学した。(いまだに私のスペイン語は「メキシコ訛りがひどい。メキシコで覚えてきただろう。」と言われる)メキシコの貧困は、アメリカのそれよりレベルがまた一段違った。滞在先のホストファミリーの女の子は、11歳で子供がいた。街を歩けば、物乞いをするインディオの親子が裾にすがりついてきた。

私はどうしても、その光景を思い出として葬ってしまいたくなかった。そして、大学院に進学した。母に見せられてきた「富の汚さ」を、私は研究で暴露してやりたかった。今思うと、貧困層の人々に何の抵抗もなく受け入れられ、愛され、研究に協力してもらえたのは、「富める人々」に対する憎悪を共有していたからかもしれない。私にとって「富める人々」とは、イコール母のことであった。

今となっては母のこともどうでも良いが、でもやはり私は「富める人々」に無条件に溶け込むことがどうしてもできずにいる。

娘は、「富める人々」の生活体系を、「当たり前」と考えている。むしろ、それ以外を選択肢からはずそうとする。つくばに行ってからどんな家に住もうか、と話していても、彼女の頭には「コンシェルジェのいるマンション」しか浮かばない。試しに二階建てのアパートの写真を見せてみたが(…アパート住まいの可能性が高いため)、「何これ、絶対イヤ。みんなが住んでいるようなマンションがいい」と言って聞かない。

「習い事2つしかしていない」も娘の常套句である。そりゃ周りが4個~10個している世界だから、2個であることに文句を言いたいのは分かるが、娘はどちらが特別でどちらが普通なのか、その感覚さえ完全に麻痺しているように思う。

世界には沢山の人がいて、富める人も貧しい人もいて、どの階層にインボルブするかはまずは横に置いておいて、自分の頭で精一杯その社会的な現象について考えること…それが社会と対峙するということじゃないだろうか。富める人たちのなかで、「みんながやるから私もやる」で人生を渡っていって欲しくないのだ。

娘にも息子にも、いずれはもっと広い世界で衝撃を受けて欲しいと思う。それが、学問への入り口だと思うから。
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# by la-paz-paz-paz | 2012-06-15 21:28 | 子育ち