What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
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カテゴリ:研究( 3 )

あの頃を振り返れば

娘がインフルエンザB型に罹り、家族全員隠遁生活です。明後日はピアノコンクールだったんですが、熱が下がったらとりあえず出場させるつもりですが、直前に練習が出来ないので多分ダメでしょう。先生にご相談したところ、そういうパターン(直前インフルで練習できず、地区予選敗退)はこれまでにもよくあったらしいので、一ヶ月後の東京地区予選を本命に切り替えることにしました。神奈川地区予選は練習ってことで。まあそれはそれで良い経験だと。本当に子供は何が起こるか分からんね…。幼稚園でインフルが出まくっても、弟が罹っても、ケロッとしていた娘だったというのに。

さて、前回いろいろとこみ上げる思いを記事にしたのですが、エッセイコンクールであゆみさんと「再会」したことは、私には本当に大きな出来事でした。それと同時に、今まで目を背けてばかりだった過去の傷も、そろそろ修復完了(修復というか、別視点で眺めるということかな)の時期に近づいているということを感じたのです。

私は自分が大学院を中退したことについて、「自分は学問の世界には全くもって適性がなかった」という思いでいました。「自分が悪い」「自分はああいう努力はできない人間だった」「自分は凡才なので、研究者という仕事は向かなかった」等々、自分を責めるような言葉ばかりが頭に浮かび、中退してからの四年間、学術書の一つも読めなかった。もう忘れたかったのです。学問のことを考えると、自己否定しかできませんでした。

学問以前に私は解決しなければ先に進めないヨシナシゴトを沢山抱えていて、その最大のものが母との関係だったんですね。本当にここを解決しないことには、学問どころか、いかなる人間関係も、仕事も、うまくいきようがなかったんですね。そこがすべてのキーだったわけです。

で、母と自分の関係について、四年間さまざまな勉強をしてきたわけですが、そのなかで出会った「モラル・ハラスメント」等の概念ってのは、衝撃的でしたね。正論で相手を締め上げていって、自信を徹底的に失わせ、自分の思うとおりに相手をコントロールしてしまう…。

私の親ってのもまあそういう手段で私をコントロールし続けたんですけど、それに関してはだいぶ折り合いがついています。それにどれだけ自分が傷つけられたかということについても、受け入れられるようになりました。

でも、かつての指導教官が私に対してやっていたことも、立派な「ハラスメント」だということを親のことを勉強しているなかで知ったわけですよ。本当にショックでした。なんというか、「自分が悪いんだ」とずっと自分を責めていましたから。

彼はいつも、「moviさんは○○だと思っていらっしゃることと思います。」という言い方をなさっていたんですね。ところが、私まったくそんなこと考えていませんよってことばっかり(笑。ところが、「そう思ってらっしゃると思います」と断定されてしまっては、「いや、そんなことないんですけど」なんて言えない。結局そうやって、指導教官の利となる方向にすべてもっていかれていたのですね。さらに、それに反対する意見を言おうものなら、「それはこうこうこういう意味で間違っています」と言って、論理的に押し切られてしまう。

私は彼の思うがままに動かされていたわけですが、将来の就職のこととかを考えると、本当に怖くて怖くて、彼に反旗を翻すなんてことは死んでもできなかった。会社だったら、「辞めてやる!別のとこ就職してやる!」という選択肢もあったわけですが、「大学院辞めても、自分には職歴もない。もう道もない。この人に従属するしかない」という屈折した思いが常にありました。

何よりも「こりゃおかしいな」と思い始めたのは、私がツワリで寝込んでいたときに、「メールの返信が遅い」といって何度にも分けて罵詈雑言のメールを送ってきたときでした。私は「ツワリがつらいのでお願いだから少し待ってほしい」とお願いしたけれど、指導教官の怒りがおさまらず、私はそれに大変に傷ついたので「もう休学させてほしい」とお願いをしました。そのときに、指導教官の態度は一変して「人徳者」としての彼に変わり、「本当はそう言って欲しくて、イライラしてしまったのです。あなたの体のことを思ったら辛くて。」と言ったのでした。私は指導教官がツワリ中の私の体を気遣うあまり、口が悪くなってしまっただけなのだと解釈し、そこは流しましたが、異様な不信感が自分のなかに芽生え始めていました。

このあたり、やり方がうちの親と同じという…笑
今にして思えばですが。

あなたのため思って、ってねえ。
単純に厄介払いしたかったんだよね。だったらそう言えばいいのにねえ(笑
でもそれやっちゃったら、人徳者としての彼としては許されないもんね。

という感じで、七年間こういう状況にいたもんだから、私の心は本当に「学問拒否」になってしまっていたんですね。結構、傷が深く出るんですよ。こういうハラスメントって。相手が「あなたのため思って」と繰り返すもんだから、悪いのは全部自分だと思っちゃう。それがまた辛い。

で、こういった傷から少しずつ立ち直ってきたなあというのが最近。
あと、ハラスメント系の人間を見分ける嗅覚がついてきたんだよね。それも生きていく自信になっています。今だったら、あの人を指導教官には絶対選ばない(笑。あ、この人、危険!と思って距離置くわね。

で、そろそろ学問に戻り体制なわけです。

来年、Tくばで職探しするか、博士後期課程受けるか、まじで悩んでるわけですが、とりあえず両方なんとなく検討しつつ、答えが出るのを待ってみよーかなというところでしょうか。

あ、博士後期課程は、もとの大学のは受けません(笑
そこまで度胸ないです。

どちらを選ぶことになっても、いつか学問に戻るという気持ちは捨てませんので!笑

人生は、選択肢が沢山あるほうが良いよね!

修士持ってるから、学問に戻ることもできるし、職歴持ってるから転職もできる!そう思えば、怖いことなんてないです。
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by la-paz-paz-paz | 2012-02-19 16:14 | 研究
一昨日、某育児エッセイコンクールの表彰式に参加して参りました。思ったより豪華な表彰式で、プレスも沢山来ていたし、文科省・厚労省・内閣府からもそれぞれ要人が来ておられ、司会進行はフリーアナの木佐彩子さんという顔ぶれ。

娘とともに登壇することができ、娘にとっても私にとっても本当に素晴らしい機会となりました。と同時に、「女性研究者への助成」の表彰式では、登壇されている女性研究者の皆さんのスピーチを聞いて涙が止まらなくなりました。育児をしながらの研究生活がいかに過酷だったことか、かつて娘を抱えながら研究をしていた私にはたやすく想像できます。子供たちと登壇している女性研究者の皆さんの凛々しい表情を見るに、あまりに神々しく素晴らしく、涙なしでは見られませんでした。

…と同時に、私がいる場所はあそこだったんではないかというなんとも言えない思いにさいなまれ、しばし悔し涙にも濡れました。

懇親会では女性研究者の皆さんといろいろと言葉を交わすことができ、なかでも出身の一橋大学から受賞された方とは本当に懐かしく、楽しくお話させて頂きました。

そしてなぜか、表彰式の間じゅう、昨年天に召されたあゆみさんのことが浮かび、とても不思議な気持ちでした。表彰式の翌日、お友達のゆうこさんから、実はあゆみさんがその助成を二年前に受けていたことを知りました!!

ホームページに載せられたあゆみさんのコメントを読んで生前のあゆみさんの姿を拝見して、またしても涙が止まりませんでした。

あゆみさんが、私をこのエッセイコンクールに呼んでくださったような気がしてなりませんでした。

この数年間、研究にはずっと未練がありました。研究というか、研究者として発信をする、研究者として活動をする、研究者として誰かの役にたつ、そのことからずっと諦めがつきませんでした。

毎日決まった時間働けば、決まったお給料が入ってくる生活からもなかなか脱け出す気が起きず、また「仕事しているお母さん」というアイデンティティを手放す勇気も持てませんでした。

何よりも、研究者の頃よりもずっと子供に優しく接することができるようになり、今の私には研究は必要ないのだと自分を言い聞かせてきました。

けれども、今の自分の欲求というか、いかに生きたいか、あゆみさんを通して感じた「限られた生をいかに生きるか」こういったことに対する隠蔽していた思いが、表彰式に出席して爆発することとなりました。

研究者仲間とやりあっていた頃の毎日がそりゃぁ刺激的だったこと、今でも話をしていて一番自分がときめくのは、研究者仲間であること、大学院に入ったときに「自分の居場所がやっと見つかった」という素晴らしい感覚に恵まれたこと。

そして…、大好きだった国立の風景。初めて親と離れて暮らした大学院生寮。兼松講堂を横に見ながら仲間と歩いた毎日。毎晩毎晩徹夜で語り合って、酔っ払って大学通りの桜の木に激突したあの日。

今まで封印していた記憶が、次から次に頭に去来しました。
(やばい、書いてるだけで涙が…笑)

ああ、研究という形で世の中の役にたとうじゃないかと、自分のなかで何かがはじけ飛んだ瞬間でした。

今は育児でいっぱいいっぱい。でも、子供たちが小学校にあがったら、私は戻ろうと決めました。

研究テーマは以前とは全く違うものです。
(↑これについては、次回書きます)

あゆみさん、私もそろそろ「あゆみ」だすよ。
表彰式で会えて、嬉しかったよ。

…この文章を書き終わった後にふと空を見たら、さっきまでどんよりしていた雲が、晴れ渡っていました。
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by la-paz-paz-paz | 2012-02-15 12:09 | 研究

私の居場所

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土曜日、映画監督とプロデューサーとカメラマンの三人がわざわざいらして下さった。

最初はものすごく気が重くて。研究から遠ざかってから数年。
当時は日常的に使っていた社会学的なタームすらもほとんど覚えておらず。
これが元研究者かとがっかりされるような気がして。

でもいつの間にか時を忘れて、二時間も議論。向こうの媒体は映画だけど、
何か一つのことをテーマにモノを作る楽しさはお互い同じで。
久しぶりに研究モードで頭をグルグル回したものだから、
家に帰ってパンパンに張ったおっぱいを息子にあげた途端、疲れで爆睡。

監督さんは、「moviさんのやってきたことっていうのはあまりに貴重で、、
是非映画の製作に関わることで協力してもらいたい」とのことだった。
エンディングのクレジットロールに私の名前を入れて下さるとのこと。
LA映画祭での上映後、国内での上映を目指すそうだ。

家に帰ってから、監督やプロデューサーの人たちに博士論文の頃に集めた
貴重な資料を送付。博士論文としては日の目を見なかった、研究対象たちの
生の声だ。私にとっては宝物だ。

ああ、私、書きたかったんじゃないか、と鉄砲で撃たれたかのような衝撃。

書きたくて書きたくて、ワクワクしながら何年も何年も研究してきたんだった。
伝えたくて伝えたくて、ウズウズしてたんじゃないか。

博士課程を中退したとき、指導教官に申し訳ないなんて微塵も思わなかったが、
唯一、私の調査に協力してくれた何百人もの研究対象の人たちを
ひどい形で裏切った気持ちでいっぱいだった。
みんなの気持ちはどうなるの、そんな気持ちでいっぱいだった。

それから日々育児に追われ、何か心にぽっかりと穴があいてしまった自分を感じて
絵を描いてみたり、ビジネスを起こそうとか思ってみたり、
でも結局日々の忙しさに負けて、もういいやと思ったり。。
じっと我慢の苦しい数年だった。

昨日、電気が落ちたみたいに思ったんだ。

書こう、と。

博士論文だけが人に伝える全てじゃない。
博士が取れなければ、やってきたことが無駄になるなんてそんなはずない。

とにかく書くのだ。

何百人の人たちの思いを無駄にしちゃいけない。

学問の世界だけが全てじゃない。
私はもう、大学院に戻ることはないと思う。

博士論文で書きたかったことを、平易な日本語で、
誰にでも分かるメッセージで書き落としていこう!

それをいかに世に出していくかは、これから人的チャネルをどんどん開発して
そのなかで見つけていけばいい。

期限が決まっているわけでも、
指導教官に文句を言われるわけでもないのだ。

自分が思ったとおり、信じたとおり、書いていけばいいのだ。

昔、旦那に言ったことがあった。

「私が何歳になっても、研究対象はいなくならない。
永遠にアメリカにいる。だから、焦らない。追い続ける。」と。

追い続ける。絶対に追い続けるぞ。

怖がらず、進もう。
自分の思いを見つけたからには、進もう。

ああ、研究対象と出会った13年前、
私は同じ気持ちに胸が高鳴っていた。

「お母さんに決めさせられたものではなく、
好きなものを自分で見つけた!私はこれを一生離さない!」
そう思ったこと。

懐かしい、この胸の高鳴り!
これが私の居場所。
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by la-paz-paz-paz | 2010-09-13 09:03 | 研究