What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
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発作再び


妊娠を機に薬を断ってから三週間。
思いのほか早く、発作が起きた。

相手はまた母親。
抑えようとしても抑えられない、マグマのような怒りの爆発、
全身が痙攣し、冷や汗がドクドクと噴き出すのを止められず。
周囲を憚らない大声で、怒鳴り散らし続けた。

…誰もが私が病気だったことを忘れていたので
誰にとってもショックが大きかったようだ。

なぜ、止められないんだろう?それは病気だから仕方ない。
でもなぜ、怒りの矛先が常に母親に向いてしまうのだろう?

結局、いつまでも親離れできていないのは自分。

母親に褒められるために努力し続けてきた人生。
それなのに、大学院を中退してからというもの、母親が私を褒める材料は
なくなった。

母親を私を見るその目つきは、「異物」を見るときの
恐怖と当惑に満ち満ちている。

薬を飲んでいると、「それは覚せい剤と同じだからやめろ」と言われ
精神科に通っているというと「気のせいじゃないのか」と言われ

ああ、どうして、
病気とともに歩む私に
「頑張ってるね」「偉いね」と声をかけてくれないのか。

良い学校に受かったときのように、大声で誉めそやしてくれないのか。

所詮は母の愛情など、条件付きの愛でしかないのか。

分かっている。突如精神病と娘が診断された母親が、
どれだけ現実を受け入れたくないか。

それでも、私はただ母親の条件付の愛に踊らされてきたような
そんな空しい気持ちで胸を掻き毟りたくなる。

悲しい!!空を見上げて泣きたい!!!!

次の子供は初乳のみで、完全ミルクにすることになった。
出産後にすぐに予防薬の投与を開始するからだ。

遂に、母乳で育てるという夢は叶わなかったな。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-30 18:59 | 試練

ジャニーズのお名前


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娘の風邪(というか気管支炎)がまだ悪いのですが
お天気が良かったので今日は秋の公園でいっぱい遊びました。

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来週、公園で焼き芋大会があるそうで、そのために落ち葉を沢山集めています。
娘も張り切ってやっています。

どうでもいい話なんですが、先日、夢の中にジャニーズの嵐が出てきました。
そして、櫻井翔くんが、私の彼氏であるという鼻血ブーな展開だったのです。

それ以来、すっかり嵐にメロメロになっています。

夫に話したら、「おまえ、年齢的にTOKIOだろ…」と。

…。

出産前に嵐のコンサートに行くかも、といったら
もう呆れてモノが言えないようなことを言われました。

ついでに、次の子が男の子だったら
「翔」か「潤」か「翔太」か「潤太」にしたいと切望したら
「ジャニーズの名前だけはつけたくない。ダメ。出生届ださねーからな!」と
マジギレされました。

かーーーーーーーっ

そのくせ、次が女の子だったら、「ふみちゃん」にすると決めている夫。
もちろん漫画の主人公から取っているんですよ。
以前紹介した、「青い花」の中に出てくる女の子。

上娘が「かえちゃん」なので、ちょっと古風な名前のほうが
バランスがいいんですよね。だから「ふみちゃん」は賛成。

でも今回はちょっとツワリの感じが娘のときと違うし
直感的に男の子の感じがするんですけど、どうでしょうね。

翔くーーん♪♪なんて、
はー、息子に鼻血ブーーーーーーですわ。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-28 16:45 | たまご記

学問は私を救わなかった


三日間のパシフィコ横浜のエキスポが終了しました…。
全社あげての展示会でしたから、娘の体調がなんとか守られたことに感謝!

帰路、みなとみらいの夕焼け&イルミネーションがあまりに美しかったので
何枚か写真を撮って帰りました。

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さすがに妊娠初期のコンパニオンさんは体にこたえ、座ったり立ったりして
なんとかやり過ごしました。でも今回の妊娠はツワリがあまり感じられず、
本当に育っているのだろうか…とどんどん不安になってきました…。

妊娠初期の調子の悪い体を抱えていると、娘を妊娠したときに
ツワリで泣き暮らす私に、指導教官が何通も何通も、私を非難するメールを
出してきたことを思い出します。

ひどい吐き気で研究が全く進まなかった。
苦しかった。焦った。こんなに食べ物を受け付けないのに、何で死なないのかと
毎日毎日泣き暮らした。泣いて嗚咽すると吐いてしまうので、嗚咽することも
許されなかった。

指導教官は当時、大学改革に燃えていました。
大学院教育の変革のための資金を国からガンガンもらい、
彼は自身の野望のために飲まず食わずの超多忙な生活を続けていました。

私にとっての大学改革は、子供を持つ人でも大学に通い、
周りにサポートされながら博士号を取ることができる、そんな大学に
なることを意味しました。だから私は、自分自身がそのパイオニアになろうと
子供を産む前から決めていたのでした。

ところが世の中そんなに甘くはなくて。
私は妊娠によってガラリと変わった自分の身体についていけず、
妊娠前のパフォーマンスを要求する指導教官の私を責める言葉に
パソコンを開くたびに指が怒りと絶望でガタガタ震えました。

あのとき、私の指導教官に対する信頼は一気に消えうせたのです。

「人が語らない部分に物事の真髄がある」「語られぬ声に耳を傾けよ」
という彼の主張に、当時人類学を学んでいた仲間たちは陶酔していました。

先生、ツワリで苦しむ女性に、学問的正論を叩きつけるのですか!
あなたが言っていたことは、一体何だったんですか!?
「語らない部分」を切り捨てるのですか!!

そして最後、私が大学院を辞めるきっかけとなったのは

娘の病気でゼミになかなか出席できない私に対して
ゼミ生全員の入っているメーリングリストでひたすら私を責め続けたことでした。
何度も何度も、もう勘弁してくれというぐらいに、「そもそもゼミというのは」
という正論で始まり、「個人的なことはここで考慮されるべきではありません」と
繰り返し繰り返し私を責め立てました。

私はその翌週、大学院に中退届を出しました。

これ以上、この人のもとでやっていくことはできない。
彼の大学改革の理想を達成するためには、「子供を産んでいる女性」なんて
必要ないってことだったんだなと。手っ取り早く言って邪魔だったんですよ。

学問は私を救わなかった!ずっと救われると思って頑張ってきたけれど
自分を救うのは自分しかいないんですよ、結局のところ。
それが分かっただけ、ずいぶん生き易くなりましたよ。

で、毒舌になりますが

指導教官が国からもらいまくっていた「大学院改革」だとか
「グローバルCOE」だとか、あれだけ多くのものを犠牲にして頑張ってたようですが
今回の事業仕分けでバーーーーーーーッサリ切られてましたね。

これらのお陰で研究科長に出世したみたいですけど、

私は正直、すっごい性格悪い人間なんで

はっはっは、ざまーみろ!!と心で叫びまくってしまいました。

私が蹴った学術振興会だ科研だいうのも、事業仕分けでバッサリだしな。
研究すること自体がこれだけ周縁化される国で、社会学だ学際だっていうものは
一番最初に削り落とされるのがオチでしょう。

だって、社会学って役にたたないもん。

7年間も専攻して、博士まで行ってこういうこというのは何ですが、
人を批判する力ばっかりついて、人に優しくなる力がつかないんですよ。
私は二年間、派遣の下っ端で働いてきたけど、この二年間のほうが
ずっと人にも自分にも優しくいられたよ。

あの指導教官みたいな超天才エリートくんが、「声なき声」なんて
感じ取ることができるのは永遠に無理でしょうな。

ツワリというと必ず思い出す苦い思い出。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-27 18:56 | 労働

気合センサー感知


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今日からみなとみらいのパシフィコ横浜で、国際シンポジウムが開催され、
私の会社も出展することになりました。この出展のために、私も六ヶ月間の
準備をしました。

…が、娘が昨晩から発熱!!!

絶対に子供は「母親の気合センサー」を感知して発熱する!!

今まで私がスーツを着ると娘は必ず発熱をしていました…。
今回もまさかと思いましたが、やはり発熱しました。

ろ…六ヶ月間の準備が…。

結局、午前中で早退することになり、数人の海外からのPh.Dの研究者さんと
英語でお話しただけで帰宅しました(涙

なのに!!!
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保育園に迎えに行ったらエレェ元気なんすよ、これが!!!
「風邪ひいてるんだから、早く帰って治そうね?」と言っても聞かない。
「もう治ったんだから、おうち帰りたくない」「おでかけしよーよ」と。

結局、デパートでケーキを丸々一個奢らせられて(怒
ナンデスカ、この人をバカにした表情は…。

でもこういうことになっても
「どうして自分ばっかり…」「みんなに迷惑かけてる…」と自己他者に
攻撃心が向いたり、「仕事抜けられないから」と言って全く関与しない夫を憎んだり

そういう不毛な苦しみに心身ともに疲弊することがなくなりました。

まあ早退させてもらえる職場だからいいや、と
迷惑をかけていることを謙虚に心で詫びながらも感謝できるし、

夫は夫で仕事が大事なのは自分が仕事をし始めて分かったから
手伝ってもらえる部分だけでいいやと思えるし、

こういう風に思えるようになったのって、実は本当に自分でも驚きで。

なんとなくですが、第二子のときは仕事をしようがすまいが
こういう気持ちで育児に取り組む限り、あまりイヤな気分になることは
ないかもしれないなあと思ったりします。

私にとっては本当にここまで「心をゆるく」持つまでに
四年間が必要だったんですよね。

イヤー、それにしても今日はヤラレタ。(笑

明日と明後日はなんとかフルでコンパニオンやりたいものです。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-25 17:14 | 労働

結婚記念日


今日は四回目の結婚記念日です。

最初は横浜のレストランでお座敷予約していたんですが、
先週あたりから娘が風邪でぐずついていたため、キャンセル。

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病院に行っても、新型インフルの子たちが待合の外で倒れている状態で
怖気づいて帰ってきちゃったりしました…。

というわけで、今夜は地味にチーズフォンデュとなりました。じゃん。
チーズはまだ温めている途中なので写真外でがんす。

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四度目の結婚記念日に思うこと。

夫と出会った19歳の秋、私は当時私立最高峰と言われた大学を捨てて
女子大を受験し直そうと本気で思っていた暗く悲しい時代でした。

下の記事の続きになるのですが、「男の子になりたい女の子」だった私は
大学生になって初めてのアイデンティティクライシスに陥ったのです。

女の子ばかりだった中学高校時代は、美醜も、「女の子らしい」気の利いたトークも、
彼氏がいるかいないかも、私自身の価値には全く関係のない世界でした。

一見男の子か女の子か分からない同級生たちが、そのままの形で愛され
特に特別な目では見られなかった時代でした。だから私も、そのままで良いのだと
とてものびやかに構えていました。(もちろん校則等は相当厳しくて、
反抗もしましたけどね。)

大学生になりました。

周りは予想以上にキレイな女の子たちばかりでした。誰が告白されただなんだという
今まで聞いたことのない話題が、話題の中心となるようになりました。

当時、私の「親友」と名乗っていた人物は、「moviは女の子同士だと素敵で
みんなに人気者なんだけど、正直男の子たちはみんなひいてるんだよね。」
といつもいつも私に警告してきました。

私は彼女が「親友」と名乗っている手前強いことも言えず、
けれども「男の子にひかれないためには」「男の子に嫌われないためには」
どうしたらいいのかも分からず、

初めて、自分自身のあるがままを受け入れられないという苦しい精神状態に
陥ることになりました。

大学一年生の夏休み、家から出ることが出来なくなりました。
「死にたい」と言って、毎日毎日泣いて過ごしました。

そのうちに、「親友」と名乗る人物が
「男の子たちがmoviを外して、旅行の計画を立てている」と連絡をしてきました。
「どうしたら私は男の子たちにそんなに嫌われなくなるの?」と激しく泣き崩れ、
「親友」と名乗る人物は、「女の子の間では、全然OKなのにねえ」と
また繰り返しました。

「親友」と名乗る人物、という風に書いているのは、後に彼女が親友でも何でもないと
彼女を親友と思っていたことで失ったものが沢山あったと気づき、
自分から彼女との縁を叩き切ったというイキサツがあるからなのですが。

仮面浪人、他大学受験を考えて、図書館でフラフラと世界史の
参考書を開いていた頃、突然出会ったのがある演劇サークルでした。

こういっちゃなんですが、明らかにちょっと変わった人たちの集まりで(笑
でもとにかく自己否定に自己否定を重ねていた私には、不思議な
居心地の良さを提供してくれる場所でした。

入った頃は、配役など期待していなかったのですが、
ある先輩が怪我をしてしまったということで、急遽私が代役に入ったのが
夫との出会いでした。

夫は私の兄の役で、私はどうしようもない兄を支える、気の強い妹役でした。

当時はまだ知らなかったことですが、夫は「もてない」「格好悪い」ということで
中学時代にかなり悪質なイジメにあい、人生を早々そこで諦めた人でした。
「男とか女とかどーでもええわ。自分が楽しければ。」な人でした。

だから、女の子を「女らしさ」の型にはめて見るのではなく
「人間として自分が付き合いやすいか否か」というだけで見る人でした。

演劇サークルに入って彼に出会ったときに、
それまでの死ぬかというぐらいの自己否定の苦しさを、一瞬で忘れたのを
覚えています。

「moviは頑張り屋さんだなあ」とか、「moviはすごいねえ」と
何の偏見もなくかけてくれる言葉が、私にとってはどれだけ救いになったか。

夫とお芝居を作り上げていくうちに、私は夫のことがどんどん好きになりました。
きっとこの人と結婚するのだろう、彼にしかきっと私のことは分からない、と
不思議な確信がありました。

その後、告白したんですけど撃沈しました(笑
今聞いたら、私の「親友」と名乗る人物が、私の側にベタベタいるのが
疎ましかったからだそうです(笑

「moviちゃん単品だったら、OKしようと思ってた。ああいうウソクサイ
人間に左右されているmoviちゃんを見るのが辛かった」と。

結局六年間片思いしましたが、いろいろあって付き合うことに
なりました。

私にとっては夫との四年間が、たったの四年間だったとは
どうして思えません。二人で支えあい、ぶつかりあい、
苦しいこと幸せなこと共にシェアしあってきた大切な四年間でした。

これからも、夫も私も娘も、そしてお腹の人も、
守られますように。

私の人生は夫が現れなければ、終わっていたかもしれません。
神様、本当にありがとう。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-23 18:33 | 日々の糧

おもちゃとジェンダー


経験上、ツワリがくると食べ物がほとんど受け付けなくなるので
とにかくあの悪魔がくる前に食べ物をおいしく食べよう!と思っていたら
食べ過ぎて体重が2キロプラスになってしまいました…。

…そろそろくるはずなんだが。

さて、
今年はもう娘も「サンタさん」という社会的に構築された人物に憧れる年になり
いろいろと何をお願いしようかと考えていたらしいのですが、
今日おもちゃ屋に連れていって、飛んでいったのはやはりコレでした。

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コレといえば、果てしなくある家具、果てしなくいるファミリー、
果てしなくある洋服、集めても集めても子供が欲しがるモノが尽きない、

親にとっては恐怖の家なわけですが

大人が見ても楽しい趣味の良さにはやはり感銘を受けるところがあり
やっぱそろそろアンパンマンは卒業して欲し~かな~と思っていた私としては
本人の希望を聞いて、嬉しいような、怖いような(笑

本人の希望はこちら。(↓)

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トイザラスの限定品ギフトパックだったので、娘に見えないように夫が購入。
クリスマスのラッピングをして、祖父母の家に隠してあります。

シルバニアというと女の子の遊ぶモノ、というイメージがありますが、
最近はどこの売り場でも男の子が普通にみんな遊んでいるんですよね。

私たちの時代には、「男は機関車とレゴだっ。シルバニアなんかで遊ぶな!」
みたいな目に見える圧迫がかかっていて、シルバニアで遊ぶ小学生なんて
全く見ませんでしたが、最近はどんどん、そのへんの詰まらない社会的圧迫が
なくなっていってるようですね。

下の子がもしも男の子でも、
娘と一緒にシルバニアを遊べる時代になったのかなあと
思うと、嬉しく思いました。

実はジェンダー、トランスジェンダーという話題で私と夫が大ファンなのが
志村貴子さんという漫画家です。

志村さんはジェンダー・トランスジェンダーに悩む思春期の男女たちを
それはそれは繊細な視点で、非常にリアルに描いていらっしゃる。
それはもう、ジェンダー・トランスジェンダーを超えて、思春期のあの
やるせない気持ちを思い出して、30超えた私も夫も涙が出てしまう。

最近深夜番組でアニメ化されたことで評判になりました。「青い花」

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女子校で、女の子同士が恋をする、、
そんな光景が本当に美しく、切なく描かれています。

別にこれって特別なことじゃないんですよ。私も中高六年間女子校だったので
「女の子が女の子を好きって当たり前じゃん?」ぐらいの感じでした。

今思うと、私にとってアノ頃が一番幸せだったのかもしれない。
いやほんと(笑

鎌倉のカトリック系お嬢様学校という設定が、また当時を思い出して
かなり泣けました。

なんでシルバニアファミリーからここまで話が飛ぶのかよく分かりませんが。
すみません。でも、私は実は本当に、「男の子になりたい女の子」でした。
だから、大学に入ってからが本当に辛かった。ま、そのあたりはおいおい。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-22 15:14 | 子育ち

仕事のこと

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娘は来月3才のお誕生日を迎えるので、
ベネ◎セのしまじ×うからお誕生日プレゼントが届きました。

本当に、3才になるとガラリと楽になるといいますが、
こんなに楽になるとは産んだ当初は想像もしませんでした。

次の子とは学年的に4才違いになるのですが、やはり
私がいろいろなことに肩の力が抜けるまで、この時間がかかりました。

そう思うと、学年で2才違いのお子さんを育てている人とか
やはり尊敬してしまう。そんな早くにいろいろに割り切ることも、
身体の調子を整えることも、私には出来なかったと思います。

娘のときは初めての出産育児で、しかも当時大学院生。
私は、どこに力を抜いてどこに力を入れればいいのか
誰に対して何を甘えればいいのか甘えてはいけないのか
完全に混迷のなかにいました。

親にすらどう甘えていいのかも分からず、
とにかく研究に復帰して、先生に見捨てられないようにせねば…という気持ちで
娘は3ヶ月で保育園に。

その一方で、義理の両親たちは、「基本的に面倒を見たりするのは
煩わしいのでやりたくないが、行事関連は重要なので容赦なく
やる」というスタンスの人たちで…。

産後のフラフラの身体と、病を発症手前だった私の心に
行事があるたんびに打ち合わせにズケズケと入り込んできて
詳細を決めていくだけの義両親は本当に腹立たしかった。

実は今でも許していません。連絡はとっていません。

今のお仕事は派遣なので、私は日本の雇用環境という点で考えれば
結構「危ない」状態ではあります。

でも私がこのお仕事をさせて頂くまでに自分を導いてくれたネットワークは
「派遣」という一言では申し訳ないけどとても語れないのです。
だから私は、このような経済学者が使うようなシステム論のなかで
自分の立場を計算したくないのです。

私の所属する派遣会社は、育児中の女性が派遣会社に登録しても
ちっとも紹介がこないという思いをしてきた女性たちが立ち上げた
ひとつの社会運動のようなものです。儲けは期待していないんだそうです。

職歴のひとつもない大学院中退者の私に、
これまた「信じる」という言葉を持って今の職場を紹介してもらい
すぐに採用して頂きました。

今の仕事が出産後どうなるか分かりません。
でも私にはとても大切なものだったし、「何に気を抜くか。何に甘えて良いか。」
「何は手を抜いてはいけないか」ということを、仕事をするということを通して
学んでいきました。

今は今を一生懸命やろうと。

そんな私の気持ちを汲んで、
家族も、職場の人も、結論はそのときまたみんなで考えよう、というスタンスで
いてくれます。

産後は自分の身体もどうなるか分かりません。

決めてかかったところで、苦しいだけです。

今、与えられた仕事を黙々とこなすだけです。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-20 08:05 | 労働

生きていて良かった

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今日はじめて、某大学病院の産婦人科に行ってきました。

私が今度かかる病院は、全員計画無痛分娩が原則となるのですが
それは「痛みが少ないお産」というハッピーなことが理由にくるわけではなく
私のような何かの疾患を抱えながらの「ハイリスク妊婦」しか
原則的に受け入れていないためです。

つまり、計画的に出産させないと危険な妊婦さんばかりだということ。

研究機関である大学病院で産む妊婦さんというのは、
他の科と掛け持ちで厳重管理のなかで出産しなければいけない
やむにやまれぬ事情があるようです。

さて、私は今回、妊娠を機に産科医すらも「すごいことしたね」というほど
過酷な断薬に挑まなければなりませんでした。

主治医がいまさら教えてくれたことですが、この分量を突如断薬すると
あまりの身体症状の辛さにショック死してしまう方もたまにいます…とのこと。

そんな恐ろしいこと今さら言うな!って感じですけど、
賭けたんでしょうね。私に。

断薬三日後、妊娠中絶の申し込みをしにいきました。
あのときの空の色はまだ忘れられない。

もう自分の命が、このままでは危ういなと、
本気でそう思うほどきつかった。ショック死ってのも分かる。

子供がいない状態だったら閉鎖病棟に入って抜きたいくらいでしたが
娘を放って入院するわけにもいかないなあと思い、
水も食べ物も受け付けなくなった状態で娘と普通に(?)接しましたよ…。
あと、仕事も普通にしてたのが、今思うと異常。

中絶を予約して帰る途中、もうどうにも涙が止まらなくなって
夫に電話して「やっぱり中絶なんてできないよ」と大泣き。
夫も会社で大泣き(笑

でも断薬のピークを抜けて、
「ああ、生きてる…」と思ったこの瞬間の嬉しいのなんの!!

第二子誕生でバタバタする前に、
上娘をサンリオピューロランドに連れていってあげねば。

苦しかったですが(まあ現在進行形で苦しいですが)
過酷な断薬に挑みました。大学病院の先生も目を丸くするぐらいの
結構めちゃくちゃな断薬に挑みました。よくショック死しなかったよ…。
っていうか死ぬかと思った。本当にはじめて命の危険を感じた。

私も、お腹の赤ちゃんも、まずは生きている。

それが奇跡に感じられるというのは
過酷な断薬もそれほど悪いもんじゃないなあと(笑

死ぬような思いをしないと、生きていることにはなかなか感謝できない。

明日も普通に仕事にいってきます。
仕事場の人々は私のこの一週間ちょっとの苦しみなど
全く気づいていませんでした。

精神力が痩せ果ててしまった感じです。

ういー。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-18 22:57 | たまご記

お知らせと近況

仕事中に内職してブログやってるいけないmoviさんです。
皆さんこんにちは、そしてお久しぶり。

昨年一年、そして今年一年、本当に怒涛のような毎日でした。
夫婦で闘病、そして夫の復帰、娘の成長、私の病の判明、
投薬の開始、、、そしてそうこうしているうちに
あっという間に娘は成長し、オムツもあっという間に卒業、
来年度からの幼稚園生活を楽しみにしているお姉ちゃんになりました。

ここまで本当にあまりにも大きなものを沢山乗り越えてこなければ
なりませんでした。

何よりも母親として。
ここまで「気が抜ける」状態になるまで、精神的にも肉体的にも
かなりかかりました。でも娘は本当に可愛い!!
やっとそう思えるようになりました。

そして、神様は私に新しい命をお腹に授けてくださいました。
予定日は来年の7月半ば。夫の誕生日とほとんど同じ感じで
我が家はまた、7月が賑やかになりそうです。

お薬のこと、病気のこと、いろいろあって。
今回は娘のときのお産と違い、大学病院(そして計画無痛)で
厳重管理のもと出産になります。

母親として乗り越えることが多かったのももちろん、
脳の病を持ちながらの妊娠出産は、実は同じ病を持つ多くの女性が
諦めていることでした。前例もあまりない。毎日が自分との戦いで。
インターネット等見ても、答えはない。

それでも私の主治医は、
私に「妊娠出産は難しいですよ」とおっしゃるのではなく
「moviさんを信じます」という言葉をくださった。

でも、妊娠してからも相当すったもんだがありました。
中絶を本気で考えて、産婦人科に手術を予約に行きました。

でも全て、神様に委ねることにしました。

今ここにある現実を、真剣に生きることにしました。

皆さん、また応援よろしくね。
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by la-paz-paz-paz | 2009-11-17 10:35 | 日々の糧