What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
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ヤドカリの気持ち

まず最初にご報告。例のモノ、「優秀賞」を受賞しました!

マスコミに大々的に出るまでは、公にしちゃいけないみたいなんで、この辺で勘弁してね(笑 表彰式は某ホテル会場。プレスも来ます。幼稚園休ませて、娘だけ連れていくことにしました。なんとなく、見せておきたいなと。その翌週に、娘のピアノコンクールの予選大会があるわけで…。どんだけ華やかなの、来年は。

ここんとこ、すごーく疲れてました。

娘関連の人付き合いが毎週末あり、分かっちゃいるけど経済観念が違うということは、不幸なことだなあと。土地柄仕方ないのかもしれないのですが、なんかこう、本音を話したらマズイような気持ちで一杯になるんですよ。もちろん同じ土地に住んでいる人たちのなかでも、経済観念が同じような人も沢山いるんですよ。ただ、娘が仲良くしている子たちが本当にスペシャルなんですよ。ここが幼稚園ママ友社会の不幸なんだと思います。自分にとって居心地の良い社会と、子供たちの社会がずれているのに、無理やり整合させなければならない辛さ。

で、このことについて私が一番辛いことは、結局私は親と同居しているからこの付き合いが出来るということなんですよ。娘のコアな友達たちの高級マンションでじゅんぐりにお茶…、の付き合いのなかで、以前住んでいた団地になんか絶対お友達呼べませんよ。娘には本当に申し訳ないけど、どんなに娘が「今度はうちにお友達呼んでー!」と泣き叫ぼうと、私は呼ぶ気がしなかったと思います。

親の家(っていうか現在は私の家でもあるのですが、そういう気がしません)は、一等地にある立派な邸宅だし、家の車庫には外車がデデーーンと止まっていて、皆さん「羨ましい~」なお宅です。だから、じゅんぐりお茶会にもお友達呼べるわけ。

つまり、この人間関係は、親の傘下に自分がなければ成り立たない人間関係なわけ。
(逆にいえば、親がいなければ友達として選ばなかったかも?というのが本音…)

ここでもまた、親のお膳立てした人間関係…という感がぬぐえなくて、何もかもがイヤになってくるわけです。

そういえば、私は一橋大学に入ったときに、初めて親元を離れました。(月5000円の学生寮が抽選で入れることになった。さすが国立!笑) 一橋に来ていた人々というのは、いわゆる一流企業に入れる大学出てたにも関わらず、わざわざ「文系大学院」という茨の道を選んできた変わりモノだったわけで、金はないし、人間関係もそれほど得意でもないし、ちょっと左側の思想だし、とりあえず研究に対する情熱と知能だけはすげーぞ!みたいな連中で(笑

あのとき感じた居心地のよさってのは、人生で初めてでした。あ~、ここ私の居場所よ、みたいな。初めて感じる「居場所」感でした。なんていうか、今感じているような独特の「違和感」が全然なかった。「自分が浮いてる?」「自分はここにいて良いの?」的な。

フェースブックなんぞでも、いまだに仲良く続いているのは一橋の連中が多くて。私にとって、人生で初めて見つけた「居場所」だったんだと思います。

そういう場を探していくのは、大切なことだと思うんですよ。
特に私みたいに、周りの空気に敏感な人間は。
あと、私みたいに、周りに迎合できないタイプは(笑

これからは親がお膳立てした人間関係ではなく、私が私として生きていけるコミュニティを探していきたいです。人生短いんだから!楽しくやらなくちゃよ!
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by la-paz-paz-paz | 2011-12-19 13:00 | 試練
新車で新しい外車を購入し、海外旅行だゴルフだ大変な豪奢な生活をしているくせに、都合が悪くなると「私たち年金生活だから…」を免罪符にする我が両親。

口癖のように言うのが、「あなたたちはもう65歳でも年金はもらえない」「年金なんて出るか分からない」。この人たち(一般的な団塊の世代)は、よっぽど自分たちが一番美味しい部分をもらい、日本の黄金時代を独り占めしたのだと言いたいらしい。そしてありがちだけれども、自己肯定のために、他者を否定するというやり方をとる。このやり方の犠牲になったのは私たち世代で、いくら頑張っても状況なんて良くなりっこない、私たちの未来は暗い、という漠然とした不安感を見事に刷り込まれてしまった。

でもよくよく考えてみれば、はなから年金などあてにせず貯金をしていれば良いし、何よりも私たちには上の世代にはない智恵がある。うちの夫あたり、会社に勤めていなくても、インターネットで稼ぐ手段などいくらでも思いつきそうなものだし、私は日本国外でもいくらでも食っていく自信がある。

国がなんとかしてくれる、会社がなんとかしてくれる、という認識で過ごしていた親世代からすれば私たち世代には暗い未来しかないように思えるのだろうが、私たち世代はそんなものが自分の生活を守ってくれるわけがないという現実を、もう随分前から知っている。そして、新しい防衛手段も、よりよき未来を創設する智恵も、自分たちなりに身につけてきている。

上の世代が作り出す閉塞感に巻き込まれてはいけない。彼らの自己肯定の手段に絡め取られて、自分たちの未来が暗いなどと思ってはいけない。

時代が変わったのだ。ただそれだけなのだ。そして新しい時代で、自分たちなりの生き抜く智恵を身につけていけば良いだけなのだ。未来は明るい。そう信じないでどうする。

私たち世代の自己肯定のために犠牲になったのが「ゆとり世代」だ。上の世代が言うとおりに必死こいて勉強してきた(※そしてそれが必ずしも幸せに繋がらなかった)自分を肯定するために、私たち世代は「ゆとり世代」をスケープゴートに選んだ。こういうことは、連鎖していくものなのだろうか。

子供たちには、未来は明るいと言い続けていきたい。

時代は変わる。自分たちなりの生き抜く手段を見つければ良いのだ。そしてそれは必ず生み出される。自分自身を信じて認めてあげる力、どんなときでも楽しむ力、必要なのはそれだけだ。国の力も企業の力もいらない。
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by la-paz-paz-paz | 2011-12-15 11:19 | 日々の糧

成功体験を重ねる

ここ一週間ほど、娘とウズウズした話し合いが続いていた。

ピアノのコンクールの選曲のほうを先生がしてくださり、その曲を聞いて開口一番、「やりたくない…!」「コンクール絶対出たくない!」と言い出したのである。スタートから一年たってない割には習得の早かった娘であるが、コンクールのレベルになると、また一段難しい曲が選ばれる。先生が弾くのを聞いて、ギョッとしたらしい。

さらに、娘の通うピアノ教室では去年、そのコンクールで三人が全国大会まで残り、そのうち二人が受賞している。その子たちのピアノをDVDで見せられて、「自分はこんなの絶対できない!」と言い出した。確かにその二人は音大に行ってもおかしくないレベルというか、小さいうちでもこれだけ「違う」ものかと驚かされる実力である。

娘は基本的に前向きな性格である。発表会に出ることもちっとも嫌がらず、「やってみようか」といわれたことは、あまり食わず嫌いせずにやるタイプ。ところが、コンクールだけは涙を流して嫌がるではないか。「絶対いやだ」「間違えたら恥ずかしい」と。

私はここで、「自主性を重んじる」か、それとも「とにかくやらせてみる」か、大変に悩んだ。

娘とさんざ話し合ったが、娘は「絶対無理」の一点張りで、人の話を聞こうとしない。

ピアノの先生は、「ピアノが嫌いになってしまったら元も子もないので、ダメそうだったら絶対無理しないでください」とおっしゃられていた。「ただ、出場したら大きな自信にはなりますよ」とのこと。

ここで私は娘に言った。「私、やらないうちから『出来ない』っていうの嫌いだな…」と。手をつけないうちから「出来ない」と放り投げてしまうことはして欲しくない、とにかく練習をしてみて、あまりにダメそうだったら潔く止めよう、と娘に言ってみた。「ダメそうだったら、本当に止めさせてくれる?」と娘が聞くので、「約束する」と言ったところ、「じゃあ練習だけはやってみる」と言ってくれた。

今日のレッスンでも娘はまだふくれっ面をしていて、「コンクールやっぱりヤダ…」と先生に文句を言っていた。先生は、娘のためにコンクールの曲をセクションごとに譜面にしてくださっていて、これは大変に助かった。全体を見るとぎょっとしてしまう譜面も、セクションにすると意外と単純に見え、これを組み合わせればゴールなのかと思えば何とかなる気がしたようだった。娘は「意外とできそうかも…」と気持ちが軽くなったようで、帰る頃にはグズグズ言わなくなった。

私ははなから予選通過して欲しいとか、受賞して欲しいとか全然考えていない。(本当はそれじゃダメなんだけど…笑) 楽しんでやって欲しいとか奇麗事も言いたくない。コンクールのための練習は、とてもじゃないけど楽しめるようなものではないと思っている。発表会と違って、プレッシャーが違う。昨年のコンクールでは、最後親御さんたちも感極まって泣き出したらしい。親にとっても鍛錬である。

ただ、「自分でもコンクールに出場できた」という成功体験は、5歳の娘にはすごく大きいはずだ。

私は育ってくる過程で、「成功体験」が得られなかった。

有名な中学に合格し、有名な大学に入学し、有名な大学院に入学した。その三箇所でしか、親に褒めてもらえなかった。だから、いい学校に入ること以外に、どうやって自分で自分を褒めてあげれば良いのか分からなかった。大学院に長くいたことは、私の「学歴依存」をますます悪化させたように思う。学校の名前がなければ自分自身が認めてあげられない、だから、学校から離れられない、それで博士課程までダラダラと残った。もっと恐れから自由でいたら、私は修士でやめて就職していたはずだ。それが怖くて出来なかった。

小さな「成功体験」を積み重ねる。人生、それがどんなに大切か。
途中で止めてもいい。とにかくやってみた。がんばった。その気持ちを味わって欲しい。

怖がるな娘よ。
いろんなことにチャレンジする人生であれ。

私もまだまだ、チャレンジしていくよ!
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by la-paz-paz-paz | 2011-12-10 16:42 | 子育ち
娘が今日で五歳に。

とにかく幼稚園に入園してからは、月日が飛ぶように流れている。さ来年には小学生である。私にとって小学校の6年間というのは目がくらむほど長かったが、娘の幼稚園生活3年間は、「もうちょっとあっても良いのに」と思うぐらい短い感覚。親子ともに楽しんでいる証拠。

夫と話をしていて驚いたのだが、今の街に住んで来年で30年になる。父の本社配属に伴ってこの街にきたのは、幼稚園年長の1月であった。小学校入学間近だったため、今の街で幼稚園転園はせず、家で過ごした。何が驚いたって、30年も住んでいるのにこの愛着のナサである。夫に「えーー!30年も住んでたの??その割にはなんか、他人事だよね!」とあんぐりされた。そうさな、30年も住んでいると聞けば、人はさぞ地元ラブなおばちゃんなんだと勘違いすることだろう。

この街は、母が好きな街なのだ。母はこの街以外に住むことは全く考えておらず、老後も今の最寄駅前のマンションに引っ越す予定だという。街の名前そのものがブランドで、人に言えば二言目には「セレブー!」と言われるこの街を母が好むのはしごく分かりやすい。母らしい。ただ私にとっては、街に付随する全てが母の支配下にあるような感じで、「私」が生きていないことにこの頃気づいたのである。

かつて大学院でヨーロッパによって征服された国々の人々が持つ、「私が話しているけれど、私のものではない言語」「私が信じているけれど、私のものではない宗教」といった感覚、これはまさしく、今の私の感覚かもしれない。(だからそういう研究から離れられなかったのだ!今さら気づいたぞ)

住んでいる場所の名前を言うと、職場の人間にも昔の友人にも、決まって羨望のまなざしで見られる。「さっすがー!」「プチセレブだー!」「教育熱心だねー!」等々。これらを言われるたびに、自分の学歴ではなく親の学歴を他人にひけらかした後のバツの悪さと似た感覚が起こってくる。そして、なんの悪意もなく褒めてくれている人に対して、口をつぐめと言いたい乱暴な気持ちが湧いてくるのだ。

この街は私の住む街だけれども、私のものではない街。

各所各所に母の価値観が埋め込まれた街。他人事のような居心地の悪い街。

ここから自分の力で出ていくさ来年、偶然にも娘は私がこの街に引っ越してきたのと同じ年齢である。
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by la-paz-paz-paz | 2011-12-05 12:46 | 試練