人気ブログランキング | 話題のタグを見る

What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it come back to you, it was always yours.


by la-paz-paz-paz
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

学問は私を救わなかった


三日間のパシフィコ横浜のエキスポが終了しました…。
全社あげての展示会でしたから、娘の体調がなんとか守られたことに感謝!

帰路、みなとみらいの夕焼け&イルミネーションがあまりに美しかったので
何枚か写真を撮って帰りました。

学問は私を救わなかった_f0199940_182858100.jpg


学問は私を救わなかった_f0199940_18291880.jpg


学問は私を救わなかった_f0199940_18293187.jpg


学問は私を救わなかった_f0199940_18294378.jpg


さすがに妊娠初期のコンパニオンさんは体にこたえ、座ったり立ったりして
なんとかやり過ごしました。でも今回の妊娠はツワリがあまり感じられず、
本当に育っているのだろうか…とどんどん不安になってきました…。

妊娠初期の調子の悪い体を抱えていると、娘を妊娠したときに
ツワリで泣き暮らす私に、指導教官が何通も何通も、私を非難するメールを
出してきたことを思い出します。

ひどい吐き気で研究が全く進まなかった。
苦しかった。焦った。こんなに食べ物を受け付けないのに、何で死なないのかと
毎日毎日泣き暮らした。泣いて嗚咽すると吐いてしまうので、嗚咽することも
許されなかった。

指導教官は当時、大学改革に燃えていました。
大学院教育の変革のための資金を国からガンガンもらい、
彼は自身の野望のために飲まず食わずの超多忙な生活を続けていました。

私にとっての大学改革は、子供を持つ人でも大学に通い、
周りにサポートされながら博士号を取ることができる、そんな大学に
なることを意味しました。だから私は、自分自身がそのパイオニアになろうと
子供を産む前から決めていたのでした。

ところが世の中そんなに甘くはなくて。
私は妊娠によってガラリと変わった自分の身体についていけず、
妊娠前のパフォーマンスを要求する指導教官の私を責める言葉に
パソコンを開くたびに指が怒りと絶望でガタガタ震えました。

あのとき、私の指導教官に対する信頼は一気に消えうせたのです。

「人が語らない部分に物事の真髄がある」「語られぬ声に耳を傾けよ」
という彼の主張に、当時人類学を学んでいた仲間たちは陶酔していました。

先生、ツワリで苦しむ女性に、学問的正論を叩きつけるのですか!
あなたが言っていたことは、一体何だったんですか!?
「語らない部分」を切り捨てるのですか!!

そして最後、私が大学院を辞めるきっかけとなったのは

娘の病気でゼミになかなか出席できない私に対して
ゼミ生全員の入っているメーリングリストでひたすら私を責め続けたことでした。
何度も何度も、もう勘弁してくれというぐらいに、「そもそもゼミというのは」
という正論で始まり、「個人的なことはここで考慮されるべきではありません」と
繰り返し繰り返し私を責め立てました。

私はその翌週、大学院に中退届を出しました。

これ以上、この人のもとでやっていくことはできない。
彼の大学改革の理想を達成するためには、「子供を産んでいる女性」なんて
必要ないってことだったんだなと。手っ取り早く言って邪魔だったんですよ。

学問は私を救わなかった!ずっと救われると思って頑張ってきたけれど
自分を救うのは自分しかいないんですよ、結局のところ。
それが分かっただけ、ずいぶん生き易くなりましたよ。

で、毒舌になりますが

指導教官が国からもらいまくっていた「大学院改革」だとか
「グローバルCOE」だとか、あれだけ多くのものを犠牲にして頑張ってたようですが
今回の事業仕分けでバーーーーーーーッサリ切られてましたね。

これらのお陰で研究科長に出世したみたいですけど、

私は正直、すっごい性格悪い人間なんで

はっはっは、ざまーみろ!!と心で叫びまくってしまいました。

私が蹴った学術振興会だ科研だいうのも、事業仕分けでバッサリだしな。
研究すること自体がこれだけ周縁化される国で、社会学だ学際だっていうものは
一番最初に削り落とされるのがオチでしょう。

だって、社会学って役にたたないもん。

7年間も専攻して、博士まで行ってこういうこというのは何ですが、
人を批判する力ばっかりついて、人に優しくなる力がつかないんですよ。
私は二年間、派遣の下っ端で働いてきたけど、この二年間のほうが
ずっと人にも自分にも優しくいられたよ。

あの指導教官みたいな超天才エリートくんが、「声なき声」なんて
感じ取ることができるのは永遠に無理でしょうな。

ツワリというと必ず思い出す苦い思い出。
by la-paz-paz-paz | 2009-11-27 18:56 | 労働