とりあえずの道筋など
2012年 03月 07日
またまた久しぶりの更新。でもまあツイッター等で近況は少しは知れているかなと。ツイッターとフェースブックもあまりの多忙にいじるのが煩わしくなり、先月終わりぐらいから放置っぷりが半端ないわけですが、余裕が出たらそのうち戻ると思います。年度末・年度始は仕事も育児も忙しいですね。両方かけもちでやっているわけですから、単純計算すれば4倍の忙しさになるということですね。もう先週はゾンビみたいになっていました。
しばらく研究者に戻るタイミングをはかっていましたが、私も一度研究の道にいたので、いろいろと現実が分かっているぶん慎重になったように思います。以前のように、ノリと勢いだけで飛び込むほど若くないのね。恥ずかしいセリフを許してもらうのであれば、日本の大学の博士課程であれば、割とどこでも軽く合格できそうな気はしていたし、入ってからもどういう手順で博士取って、どういう手順で金稼ぐか、どういう奨学金に応募するか、果てはどういう研究が金取りやすくて、どういう研究が就職に強いかまで、怖いほど見えてました。「金にならなくても、就職なくても、好きなことをやり続ける研究者でいたい」なんて若いこと言えるほどの気概が欲しかったですが、一度研究の道にいて挫折した身は、こういう意味でものすごく「賢く」ふるまうようになります。
で、私は家族もあるし、「好きなことやり続けて、確実に食っていく」ほど研究なんて甘くないってよーく分かっています。喰える研究をするには、「流行」かつ「日常に不可欠な分野」が一番手っ取り早い。さらに、企業まで巻き込む研究をすれば、研究費には困りません。そういう研究について、一つ案がありました。それで博士課程に入れば、少なくとも「喰っていける」自信がありました。
で、それを来年からやってみようかどうしようか迷いに迷っていたわけです。
結果として、迷いましたが来年それをスタートさせることは辞めました。
自分が好きではない研究をやるのがイヤだから…という理由ではありません。何度も言うけれども、そこまで若くないです(笑。情熱に身を焦がすような研究だって、金が入らなければやがては情熱すらも疑いたくなってきてしまうほど苦しくなるということがよーく分かったからです。
理由はもっとポジティブなもので、単純に私がやっと獲得した「職歴」が、次でどう評価されるのか知りたくなってきたのです。しかも転居先は、最先端技術の研究所ひしめくあの場所。技術翻訳者としての自分を試すのに最適すぎるほどの場所。大学院と違って、転職は年齢による制限がかなり早くからかかってきてしまうので、ここでステップアップせずにどうする、と。
今の職場は技術翻訳者がいないと全く仕事がなりたたないくせに、「技術翻訳者募集」と募集広告をかけても人が全くこないため、「英文作成事務募集」「TOEIC650点以上程度の英語力で可」という恐ろしい募集の仕方をしていました。それでも私が勤める前は六ヶ月も翻訳者がおらず、まさにスタッフは頭をかかえる苦境だったとか。
仕事についてびっくりというか、「騙された」感すらありました。TOEIC650以上って、この仕事はTOEIC990の人でもろくに出来ないんじゃないだろうか!!というとんでもない業務内容だったのです。要するに、専門技術翻訳(論文・図面・仕様書・特許等)を次から次にやらされるという恐ろしい仕事内容。入った初日に「バリ取り」をバリ島の「バリ」と勘違いして、取引先の方にエライ馬鹿にされたという記憶があります。とにかく、そんな恐ろしい職場だったわけです。
でも私は負けるわけにいかず。大学院中退して、夫は家でうつ病で寝ていてお金もなく、とにかくここで負けるわけにはいかんと思ったわけですよ。四年間、毎日毎日が勉強でしたね。仕事に関連することは、専門外であろうとなんだろうと、あいている時間にガツガツ勉強しました。お陰で、今は職場の人たちが持ってくる専門的な文書も、ちょっと説明を聞けばサクッと翻訳できるようになりました。
自分で言うのもなんだけど、本当に頑張ったと思います。子供がいて残業もできませんでしたが、どんなに難しい仕事も、期限に間に合わなかったことはただの一度もありませんでした。仕事場には、私が辞めるとなると泣きそうになる人たちが沢山思い浮かびます(笑
今の職場にきて四年、「私って意外とデキルヤツかも!」と初めて自分で自分を褒めてあげられるようになったのです。自己評価が低かった私にとって、これは画期的なことだったんです。だからこそ、その自分で新しい場所で勝負してみたいという気持ちがある。
…長ったらしくなりましたが、そういうわけで、来年は転職活動に燃えることにしました。
ご報告まで。
しばらく研究者に戻るタイミングをはかっていましたが、私も一度研究の道にいたので、いろいろと現実が分かっているぶん慎重になったように思います。以前のように、ノリと勢いだけで飛び込むほど若くないのね。恥ずかしいセリフを許してもらうのであれば、日本の大学の博士課程であれば、割とどこでも軽く合格できそうな気はしていたし、入ってからもどういう手順で博士取って、どういう手順で金稼ぐか、どういう奨学金に応募するか、果てはどういう研究が金取りやすくて、どういう研究が就職に強いかまで、怖いほど見えてました。「金にならなくても、就職なくても、好きなことをやり続ける研究者でいたい」なんて若いこと言えるほどの気概が欲しかったですが、一度研究の道にいて挫折した身は、こういう意味でものすごく「賢く」ふるまうようになります。
で、私は家族もあるし、「好きなことやり続けて、確実に食っていく」ほど研究なんて甘くないってよーく分かっています。喰える研究をするには、「流行」かつ「日常に不可欠な分野」が一番手っ取り早い。さらに、企業まで巻き込む研究をすれば、研究費には困りません。そういう研究について、一つ案がありました。それで博士課程に入れば、少なくとも「喰っていける」自信がありました。
で、それを来年からやってみようかどうしようか迷いに迷っていたわけです。
結果として、迷いましたが来年それをスタートさせることは辞めました。
自分が好きではない研究をやるのがイヤだから…という理由ではありません。何度も言うけれども、そこまで若くないです(笑。情熱に身を焦がすような研究だって、金が入らなければやがては情熱すらも疑いたくなってきてしまうほど苦しくなるということがよーく分かったからです。
理由はもっとポジティブなもので、単純に私がやっと獲得した「職歴」が、次でどう評価されるのか知りたくなってきたのです。しかも転居先は、最先端技術の研究所ひしめくあの場所。技術翻訳者としての自分を試すのに最適すぎるほどの場所。大学院と違って、転職は年齢による制限がかなり早くからかかってきてしまうので、ここでステップアップせずにどうする、と。
今の職場は技術翻訳者がいないと全く仕事がなりたたないくせに、「技術翻訳者募集」と募集広告をかけても人が全くこないため、「英文作成事務募集」「TOEIC650点以上程度の英語力で可」という恐ろしい募集の仕方をしていました。それでも私が勤める前は六ヶ月も翻訳者がおらず、まさにスタッフは頭をかかえる苦境だったとか。
仕事についてびっくりというか、「騙された」感すらありました。TOEIC650以上って、この仕事はTOEIC990の人でもろくに出来ないんじゃないだろうか!!というとんでもない業務内容だったのです。要するに、専門技術翻訳(論文・図面・仕様書・特許等)を次から次にやらされるという恐ろしい仕事内容。入った初日に「バリ取り」をバリ島の「バリ」と勘違いして、取引先の方にエライ馬鹿にされたという記憶があります。とにかく、そんな恐ろしい職場だったわけです。
でも私は負けるわけにいかず。大学院中退して、夫は家でうつ病で寝ていてお金もなく、とにかくここで負けるわけにはいかんと思ったわけですよ。四年間、毎日毎日が勉強でしたね。仕事に関連することは、専門外であろうとなんだろうと、あいている時間にガツガツ勉強しました。お陰で、今は職場の人たちが持ってくる専門的な文書も、ちょっと説明を聞けばサクッと翻訳できるようになりました。
自分で言うのもなんだけど、本当に頑張ったと思います。子供がいて残業もできませんでしたが、どんなに難しい仕事も、期限に間に合わなかったことはただの一度もありませんでした。仕事場には、私が辞めるとなると泣きそうになる人たちが沢山思い浮かびます(笑
今の職場にきて四年、「私って意外とデキルヤツかも!」と初めて自分で自分を褒めてあげられるようになったのです。自己評価が低かった私にとって、これは画期的なことだったんです。だからこそ、その自分で新しい場所で勝負してみたいという気持ちがある。
…長ったらしくなりましたが、そういうわけで、来年は転職活動に燃えることにしました。
ご報告まで。
by la-paz-paz-paz
| 2012-03-07 14:17
| 日々の糧